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☆優勝☆ そして花園へ・・・さらに!!

2010/11/13

優勝できました
 管理人が高校生だった、今から30年前。60回記念大会が行われました。そして、管理人が教員採用試験に合格し、瀬戸西高校に赴任し、まだバレー部の顧問だった頃、70回の記念大会で、旭野と瀬戸西の決勝が行われました。
 この時、管理人は、旭野の応援に行こうとしたら「お前は、こっちに来るな。」といわれ、瀬戸西サイドに行こうとしたら「お前は来るな。」といわれ、仕方なく真ん中で所在なく応援しました。接戦でしたが、瀬戸西が勝利。試合後、何人かの瀬戸西の在校生が、管理人に「ざまあミロ。」と罵声をあびせながら帰って行きました。心の中で管理人は「こいつらノーサイドの精神を分かっていないな。」と呟きながら、「いつかリベンジしてやる」と思いつつ、20年の年月が・・・。
 管理人は、長い間、教務で時間割作成に携わっていたので、春休みが全くないような生活が10年以上続きました。OB会の開催時期が一番仕事が忙しくなる部署であり、OB会に5分だけ顔を出すとか、10分だけ見たとか、そんなスタンスで卒業後20年以上を経てしまいました。
 教員生活の中で、「母校に恩返しに行かねば。」と、先輩の先生に言われたことが何度もありました。でも、心の中では「旭野に自分が転勤することは無いだろうし、むしろ行ってはいけない。」と自分に言い聞かせながらの教員生活でした。そのせいもあり、旭野に転勤の辞令が出たことを聞いたとき、天命を素直に受け容れることができないで、実は、「考えさせて下さい」と、思わず、校長に言ってしまいました。
 結果的に旭野に転勤してから1年を経て、この春から、ラグビー部の顧問にさせていただいた次第です。最初の仕事は、「突発性難聴にかかられた橋本先生のかわりに、私が大府の試合会場まで荷物を運ぶ。」といったものでした。
 実は、運命のいたずらか、管理人も、10月初旬に「突発性難聴」にかかってしまいました。いまもなお、耳は万全の状態ではありません。しかしながら、個人的に思っていた「リベンジ」を、本日、我が後輩が成し遂げてくれたのです。これ以上の喜びはありません。
 選手諸君が、試合開始直前に涙していた時、管理人も思いっきり泣きたくて仕方ありませんでした。それは、「20年以上思っていたリベンジが、今日、ここで果たせるかもしれない。」という期待があったからです。
 本日、多忙のためとうかがっていましたが、管理人を高校入学当初から鍛えて下さった阿部先生の姿は瑞穂にはありませんでした。本当は、この勝利を真っ先にお伝えしたいと思っておりました。しかしながら、管理人の高校3年生の担任であり、教育実習の指導教官でもあった横地先生が、試合の解説をして下さいました。本当に感謝申し上げます。
 何十年ぶりかにご挨拶できた寺田先輩。そして、同年の鬼頭、松下、熊沢。本当に有り難う。
この先、花園でもっともっと好ゲームを選手たちに見せてもらいたいと思っています。
 個人的な思いを長々と綴らせてもらい、申し訳なく存じます。
 本日応援においで下さった保護者及びOB他、学校関係者の皆々様、本当に有り難うございました。旭野はもう一度全国に行けることになりました。さらなる応援を宜しくお願い申し上げます。

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